日本ペインクリニック学会第50回記念大会に向けて
日本ペインクリニック学会第50回大会
会長 世良田 和幸
昭和大学横浜市北部病院 病院長
海外、特に米国でのペインクリニック分野の発展に伴い、日本でもペイン・リリース分野の確立が急がれておりましたが、ようやく1962年に東京大学病院麻酔科の若杉先生を中心として、麻酔科外来(ペインクリニック)が日本で最初に開設されるに至りました。以来、全国で痛みの治療に関心を持つ麻酔科医師を中心として、互いの知識の向上、進歩をはかり、普及させる目的で日本ペインクリニック研究会が発足し、1969年に第1回の研究会が東京で開催されました。その後、1985年の第19回大会より「日本ペインクリニック学会」に昇格し、学会の正式名称(英語名)は、Japan Society of Pain Clinicians (JSPC)と定め、本部事務局は、東京都文京区本郷に置き、その後神田駿河台へ移転しました。
学会運営はきわめて順調で、発足からはやくも半世紀以上が経過いたしました。現在の会員数は5058名(2014年10月25日現在)。正式な会則は1984年7月29日に制定されました。
また、米国のクリントン大統領が任期中の2000年に「痛みの治療推進のための10年」という政策を打ち出され、それが日本のペインクリニック学会にもおおいなる励ましとなり、一層発展が加速されたという事実がございます。
日本ペインクリニック研究会が発足して以来、日本におけるペインクリニックの必要性は著しく拡大し、学会の会員数も飛躍的に増加いたしました。我が国で始められた麻酔科医によるペインクリニックは国際的にも大きな影響を及ぼしたと考えられます。アメリカのJJBonica先生が提唱された神経ブロックを、実際の臨床の場で花開かせたのは日本であると言っても過言ではありません。近年では、研究テーマも多岐にわたり、多くの医師、研究者たちが「痛みの緩和」に多方面から取り組むようになっております。ここ10年に亘る日本ペインクリニック学会の開催記録をみましても、その傾向が顕著に現れ、いかに社会から求められている分野であるかが分かります。しかし、日本にペインクリニックの概念が導入されてから約半世紀が経過し、1970年代のペインクリニックの創生期に活躍された先生方も後輩に道を譲る年令になってきました。
2016年は、日本にペインクリニック研究会が発足以来、いよいよ第50回目の記念すべき大会となります。会期は7月7日(木)から9日(土)まで、会場はパシフィコ横浜をほぼ貸切で行います。メインテーマは、「過去から未来への橋渡し:今、私たちは何を残し、何を伝えるべきか」と定めました。日本におけるペインクリニック学会にとって、エポックメイキングな特別な大会とすべく、多彩な企画を練っているところであります。第50回の大会会長は、昭和大学横浜市北部病院の世良田和幸(昭和大学医学部教授、昭和大学横浜市北部病院 病院長)が務めさせていただきます。
第50回大会を成功に導くために、皆様方の絶大なるご協力とご支援を衷心よりお願い申し上げる次第でございます。
平成26年10月吉日